『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

なんだかなぁ・・・

Facebookで知り合ったというか、彼女の方から私の投稿やコメントを見て友達申請してきたんだけども・・・


まぁ、私の半分の年齢で。
ナースです。
看護系の短大を出て、今は都内の総合病院でパートの身だけど、休職中とのこと。
パートで休職中?
まぁ、それが認められてる病院なのか、と思った。


で、今日はその彼女の方から電話がきた。
泣いている・・・
何があったのか聞いてみると、看護部長に呼び出されて、勤務先の病院に行ったと。
そしたら、(まぁ、当然なんだけど)、
「パートさんは休職というのはない。あなたの健康保険料とかも病院が立て替えて払っている。もう休職して3か月だから病院の就業規則で退職して療養に専念したら?」
と言われたと。


当然なんだよね・・・
パートさんには、休職はない。
でも、傷病手当金をもらっている。


で、なんだか自分でもわからないみたいで。
いつから鬱状態になったのか。
前の病院で勤務していた時からなのか、今の病院に勤務してなのか。
なぜ、鬱状態になったのか。
そういう自己分析がまずできていない。


退職勧奨にショックを受けての電話だった。
でもね・・・
私も今はこんなですけど、管理職の経験もあり、事実、一人の社員に退職勧奨をしたのよね・・・
辛かったな。



で、彼女の話はよくわからない。
そして、またあとでLine頂戴ねって言ったきり、返事なし。
私もやらなくてはいけないことがあったので、Lineしてみたら、泣きつかれて寝てますとか・・・


ああ、新世代にはついていけません。
ゆとり世代とでもいうのかしら?
そういう身勝手さが、職場で出てるんではないかと思ってしまった。
自分の悩みとかでしょ?
それを打ち明けてきて、疲れたから寝てますって、自分から
「疲れたので、寝ます。また今度お話ししてください」
とかいうのが、私の常識なんだよなぁ・・・
連絡を待っているほうの身にはなれないんだなと思った。


Facebookで知り合ったので、そちらには書けないので、ここで・・・


家賃の半分を親に支援してもらっているのを知っているので、いいなぁと思ったのも確か。
甘えられていいなぁって。


とにかく、疲れたのは私もです・・・



すべて他人ごとなんだ。

最近は、つらい気持ちも楽しかった思い出も聞いてくれる人がいなくなった。


両親も旦那の話を私がすると嫌な顔をして
「もうやめて」
と言う。


決して悲しい話をしようとしているんじゃない。
旦那がどれだけ私を愛してくれていたか、いなくなって初めて気づいたことがたくさんあるから、話したいだけなのに・・・


どんなに想っても旦那が帰ってくることはない。
だけど、忘れたくない。
自分が愛されたことを、両親にも知ってほしい。
そけだけなのに・・・



友人もいろいろあって、今は心に余裕がないみたいだし、いつまでも友人を付きあわせてもいられない。



結局、本当の悲しみも悩みも自分で答えを出して、癒していくものなんだなと思う。
生きていくためには、算数のように1+1=2とはいかない。
私は自分の出した答えすべてに正解をあげたい。
私の人生が花丸じゃなくてもいい。
迷いながら、回り道してみつけたのが正しい道だと思う。
思いたい。


どんなに私が正論を述べても、YESをくれるとは限らない。


自死を肯定も否定もしないのは、そのひとつ。
私は旦那の死を決して無駄にはしない。
だから、生きていく。
生きて、旦那が生きた証をつくる。
作り続ける。
旦那なりに懸命に生きたのがわかるから。
もがいていた旦那の苦しみに気づいてあげられなかった、せめてもの供養だ。
きっと・・・
旦那は私と知り合わなくても、いつかの時点で死を選んでいたのだと思う。
私の人生も過酷だったけれど、旦那の人生もまた過酷だった。
それを旦那は生き抜いた。
その結果でしかない。



他人は私を好奇の目で見る人もいる。
見ていればいいよ。
私は痛くもかゆくもない。



どうせ、それでも私は生きていけるから。






他人は・・・

私は自死を決して肯定はしない。
でも、否定もしない。


自ら死を選んだことのある私。
死ねなかったけれど・・・
死ぬ直前までいった。
助かって、今、生きているのは奇跡だ。


では、なぜあの時、死にたかったのか。
『生きてる意味がわからなかったから』


私はあのころ、絶賛・鬱病で、何も理解してくれない母親に対して怒りでいっぱいだった。
絶望的だった。
家に居場所がなかった。
気持ちの休まる時がなかった。
いつも監視されているように思えた。
仕事もできない私。
生きている価値がないと思った。


そんな私に母親は言葉の刃を向けてきた。
衝動的に多量の薬を飲んだ。
あとは覚えていない。



そんな私が自死遺族になってしまった。


旦那さんは私の前ではつらい顔も見せずに、最後まで笑っていた。
一言も辛さや苦しさを言わずに、この世を去った。
それは旦那さんの強さとやさしさだったのだと思う。


おそらく旦那さんは『自分はこういう理由で死ぬんだ』とは本人もわからなかったのではないか。
ただ、何か深い寂しさとか、虚しさとか、切なさとか、憂鬱とか、そういうものが心の中に深く根をおろして、それを切り開いていく杖になるような強い光が見いだせない・・・
そういうことだったのではないかと思う。



旦那さんの生い立ちは、かわいそうなものだった。
やっと楽になれたのではないか・・・
そう思うとやるせない気持ちと共に、自死を肯定してあげたくなる。
けれど、決して自死を肯定したくない。
でも、否定もしたくない。


本人にしかわからない辛さや苦しみ、悩み。
そういったものをすくいあげることは、簡単ではない。
生育歴までたどらなくてはならない。


旦那さんがどうしても手に入れられなかったもの・・・
それがわかった気がする。
それは、私も同じだ。
代えのきかないもの。
お金では手に入らないもの。
どんなに手を伸ばしても手に入れられなかったもの・・・



この世で、手に入れることができなかったものを、あの世では手にできていることを祈っています・・・