『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

すべて他人ごとなんだ。

最近は、つらい気持ちも楽しかった思い出も聞いてくれる人がいなくなった。


両親も旦那の話を私がすると嫌な顔をして
「もうやめて」
と言う。


決して悲しい話をしようとしているんじゃない。
旦那がどれだけ私を愛してくれていたか、いなくなって初めて気づいたことがたくさんあるから、話したいだけなのに・・・


どんなに想っても旦那が帰ってくることはない。
だけど、忘れたくない。
自分が愛されたことを、両親にも知ってほしい。
そけだけなのに・・・



友人もいろいろあって、今は心に余裕がないみたいだし、いつまでも友人を付きあわせてもいられない。



結局、本当の悲しみも悩みも自分で答えを出して、癒していくものなんだなと思う。
生きていくためには、算数のように1+1=2とはいかない。
私は自分の出した答えすべてに正解をあげたい。
私の人生が花丸じゃなくてもいい。
迷いながら、回り道してみつけたのが正しい道だと思う。
思いたい。


どんなに私が正論を述べても、YESをくれるとは限らない。


自死を肯定も否定もしないのは、そのひとつ。
私は旦那の死を決して無駄にはしない。
だから、生きていく。
生きて、旦那が生きた証をつくる。
作り続ける。
旦那なりに懸命に生きたのがわかるから。
もがいていた旦那の苦しみに気づいてあげられなかった、せめてもの供養だ。
きっと・・・
旦那は私と知り合わなくても、いつかの時点で死を選んでいたのだと思う。
私の人生も過酷だったけれど、旦那の人生もまた過酷だった。
それを旦那は生き抜いた。
その結果でしかない。



他人は私を好奇の目で見る人もいる。
見ていればいいよ。
私は痛くもかゆくもない。



どうせ、それでも私は生きていけるから。