『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

ある方のブログを読んでいて

・・・私も泣けてきた。

泣けて泣けて泣けて・・・

ナースである私には病名も点滴の効果も、わかってしまった。

ほぼ読破させていただいた。

その悲しみと私の旦那の死の悲しみと、また、形が違うのだ。

病死と自死との違い。

でも、どちらも私たちに対する『裏切り行為』だった。


私には看病する間もなく、ただいきなり彼の遺体とご対面だった。

悲しんだり、心の準備もなにもないまま、彼は死んだ。


振り返れば後悔ばかり。

あの日・・・

昨年の10月3日土曜日。

「仕事から帰ったら簡単なのだけどごはん作るからね」

と約束してたのに、彼は熱海のアパートに帰っていった。

あの日、帰宅してテーブルの上に置手紙と今月の分ね、というお金を不思議に思わなかったのか、私。

あのまま、熱海に向かっていたら・・・

彼を踏みとどまらせることができたかもしれない。

けれど、どこかの時点で彼はまた死ぬ日を決めたに違いない。

それは、確実だった。

遺品の整理をしていて、

“ああ、この人は自ら死ぬ運命の人だったんだ”

となんとも言えない気持ちになった。


彼の自死を確実に感じたのは5日の夜だった。

仕事から戻ると郵便で手紙が届いていた。

部屋に入り、手紙の封を切る。

手が震える。

読み進めていくうちに、遺書だ・・・と直感でわかった。

彼の携帯を鳴らして鳴らして鳴らしまくった。

メールも送りまくった。

疲れていたし、空腹でたまらなかったけれど、熱海に車を飛ばした。


アパートに着く。

部屋には電気はついていない。

電気のメーターも動いているような、動いていないような・・・

いないのかな?

でも、バイクは止まってる。


玄関の呼び鈴が壊れているから、ドアをたたく。

何度もたたいた。

いつもなら開いているトイレの窓も閉まっていた。

ドアを壊して入ってみることも考えた。

トイレの窓を壊してよじのぼることも考えた。

でも、どちらもできなかった。

ちくしょう、こんな時のために合鍵を作っておけばよかった。

もう、遅い。


もしも、開けて入って、誰もいなかったら、籍の入っていない私は不法侵入で捕まってしまう。

器物破損にもなるだろう。

なによりも、もしも・・・もしも・・・

それが怖かった。

夜の8時半。

あたりは真っ暗。

古びたアパートの他の住人のことは一切知らない。

明日も仕事だと思うと、これ以上のことはできなかった。



帰り道でトイレに行きたくなった私はコンビニに入る。

トイレの後、電話をかけてみる。

メールもする。

帰宅してからも何度も電話したりメールしたりした。



返事はくるはずなかった。

すでに彼は死んでいた。



3年半も一緒に暮らしていて、私は彼の弟とお上人さんのお寺の電話番号しか、彼の携帯から盗みとることはできていなかった。

お寺に電話をするのをすごく躊躇して、弟にもかなり緊張しながら電話をした。

なにしろ、会ったこともない、話したこともないのだから。


結局、弟からお寺のお上人に連絡してもらい、7日の昼過ぎにお上人と初めて電話で話した。

そして、翌日の8日に二人で熱海のアパートの駐車場で待ち合わせた。


8日。

お上人が先に着いていて、部屋を開けて確認してくれていた。

ダメだったと・・・

首を吊っていたと、ジェスチャーで伝える。

このときはまだ、お上人が義兄にあたるとは思いもよらなかった。


とにかく、消防、警察に電話をかけた。

私にお上人が「見ないほうがいい」と促した。

けど、私は自分の目で見なければ信じることはできないと、勇気を出して消防さんの邪魔にならないよう、隙間からそっと覗き見た。

首を・・・吊っていた・・・

言葉がでなかった。


あの人が・・・・

自殺・・・・した・・・・・

ドラマの撮影のようだった。


悲しむ間もなく、警察からいろいろ聞かれる。

通帳の記帳に行ってくださいと言われる。

私は思考停止したまま、車を走らせて銀行へと向かう。


銀行から戻ると知らない女性がいた。

坊主頭の。

それが彼の姉だった。

いろんなことを頭の中で整理しなくてはならない状況。


彼は私に話してくれてなかったことがあまりにも多すぎて、正直、イライラした。

そして、何よりも遺体に会わせてもらえるまで6時間以上、寒いほかの空いてる部屋で待たされた。

その間に会社や両親に電話したりした。

耳が少し遠い私の父は「死んじゃったの・・・首を吊ってた・・・」が聞こえないらしく、何度も怒鳴らなければいけなかった。


死後5日経過していた。

なんと、私の誕生日の前日に彼は遺体で発見となったわけです。




・・・いきなり、思い出したかのように書きました。

病死も本当に辛かったと思います。

でも、いきなり死なれてしまう、しかも自殺で。

これは、本当の裏切り行為です。

遺書には「愛している。今でも」なんて書かれていたけど、

愛してるなんて、まったくの嘘じゃないか、と思った。

黙って、理由もいまだにちゃんとわからないまま。


そして、私の苦しい日々が始まった。

頑張ってれば、きっといいことがある。

そう信じて、必死で仕事もこなしてきた。

けど、『愛する人を亡くしたことによる鬱』は会社には理解されることはなかった。

会社というよりは、他人の不幸は蜜の味の人には・・・


とにかく、疲れていた。

退職という結論を出すまで、死ぬほど疲れていた。

昼間は業務をこなし、夜はオンコール体制。

いつ電話がくるか、わからない。

緊張状態は退職まで続いた。


けれど、退職の形が形だから、いまだに許せない自分がいるし。

このまま次の仕事が見つからなければ、本当に困る。

先日、初めて旦那を憎んで恨んだ。

そして、泣いて泣いて泣いて、泣き疲れて眠った。



・・・ある方のブログを読破した結果、私はこうして自分の彼との別れを、溢れるように書きました。

これはこれで、私と彼の別れの記録。


愛と憎しみは背中合わせかもしれない。

今はそんなこと、思っています。



生きていかなきゃならない。

生きていきたいから、ここに気持ちを吐き出して、明日また一歩でも前に進めるように。

正直、進んでいるのか、後退しているのか、わからない。

でも、面接の予定を入れたりしているってことは、少しずつ進んでいると信じたい。

やりたかったよさこいにも入って、これから人生の再スタートを切ったつもり。

コンビニ弁当ばかりだったけど、また少しずつ料理らしきものも再開した。

モルもいて、癒してくれてる。

本音を話せる友人もいる。

そして、後追い自殺なんてカケラも考えなかった自分にまずは敬礼だな(笑)

これからも、いいこと、よくないこと、いろいろあるだろう。

でも、前を向いて、上を向いて。

頑張らなくてもいいから、頑張って生きようと心に誓う。

誰のためでもない。

自分のために。

ほんの少しだけ強くなった自分に、


『頑張っていれば、きっといいことかある』


その言葉をプレゼントする。




長々と読んでいただき、ありがとうございます。

まだまだ、私の旅は始まったばかり。