『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

心の晴れ間

仕事にもだいぶ慣れてきた。

旦那がいたころは、家事がおろそかになることを危惧して、私は病院勤務をためらっていた。

旦那の死後、それでも勇気がなかった私は一度は有料老人ホームを選んだものの、その施設のやり方に疑問だらけで耐えられず、一か月で退職を決めた。

『医療』がやりたい。

でも、長い病院勤務のブランクという壁を超えるのに時間がかかった。

時間は待ってくれない。

どんどん貯蓄が減っていく。

いろいろな想いの中で出したのが、以前といってもまだ看護師になる前の、ヘルパーとかの資格も特にない時代だったと思う。

何も考えずに看護助手という仕事に就いた。

山奥にある、精神科。

とはいうものの、当時からお年寄りが多く入院していた。

認知症という病名は、昔は痴ほうだった。


あれから20年ほどたって、私はもとの病院に看護師として戻ることになった。

・・・甘かった。

ナメていた。

『医療』から遠ざかっていた私には、難関ばかりが待っていた。

最初は泣いてばかりいた。

弱気になって、パートになることも師長に相談した。

相談したら、楽になって、当面は日勤常勤で頑張っていくことになった。


今は、楽しくて楽しくて仕方がないとは言えないものの、楽しさも感じられるようになってきた。

できなかったことが、できるようになったとか、そんな些細な喜びが私の支えになってくる。

自分ではいっぱいいっぱいなのに、そう見えない自分も『損』だとは思わずに肯定できる。

言葉にしてしまえばいいんだと、わかったから。

たまに、弱音を吐いたっていいんだ。

できないことを、できるフリはやめよう。

こんな小さな積み重ねかもしれない。



最近は心が晴れやかな日が増えてきた。

たまにツライ時には頓服薬のお世話になるけれど、鬱の薬も徐々に減らしていっていて、一人で心が乱れたりして泣くこともない。

一足早く、心は梅雨明け。


心の晴れ間がずっと続きますように・・・

嫌なことがあっても、崩れることなく生きていけますように・・・