『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

PTSDとの闘い

前からあったけど、最近はひどい。

特に朝早く、目覚めたとき。

起きるにはまだ早いな、と思ってまた目を閉じる。

目を閉じるとそこに首を吊っている旦那の姿が見える。

はっとして、目を開ける。

すると、今度は冷たくなって横たわっている旦那が見える。

見えるような気かするんじゃなくて、見えるんだ。



転職したばかりの私に、過酷なフラッシュバックがくる。

しかも、朝だ。

これから仕事に行くんだ、というその前に。

思わず泣いてしまう私。

どういう感情なのか、わからない。

でも、泣いてしまう。

涙が出てしまう。

怖いでもない、つらいでもない。

なんで?どうして今なの?

なんで仕事に行く前なの?やめてよ!に近いかもしれない。

半べそ状態で、起きて仕事に行くしたくをする。


病院勤務になってからは私服で通勤して、ロッカー室で白衣に着替える。


通勤時間は約20~25分。

遠いんだけど、交通量が少ないから時間的には早い。

途中からはほとんどすれ違う車もない。

窓を開けて歌を歌いまくって元気を出す。

大森靖子ちゃんの『新宿』。


今朝、泣いたのも忘れてロッカーで白衣に着替えて、ナースになる。

仕事は正直、きつい。

体力的にも精神的にも、きつい。

でも、私は『医療』がやりたかった。

だから、きつくても仕方がない。

自分がやりたいんだから。

好きなんだ。



帰宅して、モルにただいまをいう。

しばらく放心状態に陥る。

たいてい18時少しすぎには帰宅する。

それから、20時くらいまで仮眠しなければ、動けないくらい疲れる。


仮眠してから、モルの掃除とごはん。

自分の夕飯。お風呂、洗濯干す。

明日の準備・・・

やることはたくさんある。


疲れ切って22時前にはまた寝る体制。

夜はフラッシュバックもない。

夢にさえ出てこない。

けれど、朝になるとほぼ毎日、旦那が首を吊っている。


この治療はこうして文字に起こすことしかないそうだ。

私の心の闇に光を当てるんだって。



母親に言われた一言がショツクだった。

「あんた、後悔してるんじゃないの。最後のほう、ちゃんと食事のしたくしてあげなかったりして、外食が多かったでしょ」


確かにそうだった。

仕事が本当に忙しくて、疲れて出来合いのものか、外食が多かった。

言い訳なんだろうけど、それって。

でも、どうしようもなかった。

私の体力では・・・

でも、もしかしたら工夫できたのかもしれない。


週末の金曜日になると、準単身赴任から帰ってくる旦那。

その旦那を心地よく迎えてあげれただろうか。

旦那が期待していたような、安らぎのある家だっただろうか。

私も疲れていたけど、駅まで車で迎えに行ってたよね。

本当は私が「きつい」って言えばよかったのか。

最寄り駅まで電車で帰ってきてと、本心を言えばよかったのか。


もう、わからない。

あの時はあの時で精いっぱいだった。

ああ、こうやって書いていると苦しくなる。

でも、こういう『言葉の外科手術』しないとPTSDは治らないって。


今日はここまでにしておこう。

本当につらくなってきた。