『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

明日は。

もう4月なんだね。

思い起こせば4年前の今日、

「明日から、精神科のお薬を全部やめる」

と決意した日だった。


あれから・・・


またもとに戻ってしまったんだな、私。

薬の内容も量もだいぶ減ったとはいえ、普通にお薬を飲んでいない人から見たら、たくさんの量だ。

そこに喘息の薬も加わっているし。


明後日は受診の日。

減らせる薬は減らしていきたいと医師に伝えよう。

鬱の薬はまだまだ、はずせない。

今の私は、一度崩れたら身も心もばらばらになる寸前だ。


眠れない焦り。

落ち着かない神経。


横浜の彼とのもめ事がまだ解決の光さえ、見えてこない。

どれだけの質問のLineを送っても、ずっと既読スルーのまま。

彼自身が、明日、自分がどうなるのかわからないのだろうし、

また、どうしたいのかもわからないような気がする。

私が原因とはいえ、結論からすると彼は仕事が趣味で、仕事と共に生きてきた。

だから、その仕事を彼から奪ったら、彼には何も残らない・・・

そういう感じなんだと思う。

私自身がそうであったように。

今の私にできることは、ただひたすら良い方向に行けることを願い、

そして、静観することだけ。

その旨は伝えた。



昨年10月に旦那が亡くなってから、飛ぶように月日が流れた。

正直、いろんなことがありすぎて、心がついていけてないと思う。

頭ではわかっていても、心は理解できてない。

今さらだけど、あの時に無理やり休職していれば・・・

あの時に、義姉がそっとしておいてくれたら・・・

仕事で脳みそを使い果たして帰宅する私に、連日、長電話をよこす義姉に

ノイローゼ寸前になった。

そこが鬱の発症だったと思う。


そして、電話を断ったら義姉はヘソを曲げたまま。

ああ、面倒くさい。

なんの心の支えにもならない電話を延々とされても、どんどん脳が疲れていくだけだった。

これは憶測だけど、義弟夫婦と話したのだけど、旦那は実の姉の言葉の暴力で死を選んだのではないかと。



私は、3年半幸せだった。

最初の一年はぶつかることもたくさんあって、喧嘩が絶えなかった(笑)

でも、幸せだった。



なんか、私も疲れたよ。

争いもイヤ。

人の視線が怖い。

でも、食べていくには圧迫的に稼がなきゃならない。

実家には帰る部屋がない。

ここにいるしかないし、いたい。

だから、働かなくちゃいけない。

でも、怖いんだ・・・

人が。



シャボン玉みたいに、ふっと消えてしまえたらいいと思う。

まるで、なにもいなかったのように。

・・・そんなときに、いつもモルがこっちを見るの。

私のマイナスな心を読むかのように。

モルを見ていると、はっと我に返る。

縁あって、モルと出逢えたんだもの。




来月13日は二人の『結婚記念日』のはずだった。

その日に旦那の薬剤師の白衣とネームプレートを義姉に送る。

私の手元には、なんにも残らない。

旦那の遺書に書かれた彼の意思も、守られることはないのだろう。

忘れていいのかな・・・

それとも、早く迎えにきてくれるのかな。

でもね、まだ私は逝きたくないんだよ。

辛いけどね。

よさこいの衣装着て、みんなと踊れるようになるまでは絶対に死にたくないの。

なんの夢も目標もなかった私に、やっとできた夢と目標。



でもね。

疲れちゃったよ。

あと少しでニート生活は終わる。

いろんなことが始まる。

頑張ってればきっといいことがあるよね・・・?