『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

お墓参り

彼岸入りしたので、旦那のお墓参りに行ってきた。

旦那が建てたお墓に、旦那が一番に入ってしまった。

私の名前の塔婆も立ってた。

なんだか、不思議な気持ちだった。


旦那が大好きだった厚切りバームとビール2本を供えてきた。

「お父ちゃん。なんで死んだんだよ。私を残してさ。バカ野郎!」

一言だけ心で怒鳴った。



往復の新幹線代も、お花代も親が出してくれた。

タクシー代だけは私が出した。

無職の私にタクシー代8000円くらいは大きな出費だ。

けど、仕方ない。

無職になった本当のいきさつを親は知らない。

言えなかったから。


私、昔からそうだ。

子供のころ・・・

そう小学4年のころからいじめにあっていた。

今ならその時の担任を訴えることもできたはずのいじめの有様だった。

それも言えずにきた。

あの時の担任はまだ生きているのだろうか。

私はあのころから『ウソ』をつくことを覚えた。

学校に行かなくていいための仮病をはじめ・・・

逆に親の前でなんでもないふりを装ったり。



内向的過ぎて、人見知りしすぎて、だからこそ仲良くしてくれたりすると、なんでもしゃべってしまって失敗する。

そうやって大人になっても、心は子供のままで、本音と建前の使い分けがうまくできない。

傷ついて傷ついて、打ちのめされて・・・

そんな私でも、なんとか看護師をやってこれた。

なんのかんの言っても、心の傷は時間が癒してくれるのかな。

それでも許せないものはある。

あの時の担任だけは、死んでも許せないだろう。

いや、一生懸命許す必要すらないと思う。

担任に限らず、これからもきっと旦那のこと、ずっと許さない。



旦那には経済的にも物理的にも、本当に支えてもらった。

でも、一番欲しかったのは旦那がくれる、無条件の愛情だった。

精神的な安らぎがなくなった今、仕事もなくした今。

私が喉から手が出るくらいほしいのは、無条件の愛情。

甘え方を知らない私に甘え方を教えてくれた人だった。

なのに、甘えられる旦那はもういない。

どうすればいいんだよ。




ここ数日、落ち着いているようで、落ち着いていなかった心。

その結果が過食だった。

満たされない想いを食べることで満たしていた。

また体重が増えてた・・・

今夜からダイエット開始。

これを書いてる今もお腹が苦しいのです。

なのに、お腹がすいているんです。

異様なこの感覚。


これから見ようみまねで覚えた瀉血治療をします。

腸の熱を取らないと・・・

お腹の中、ガス充満してます。

胃が苦しくて苦しくて・・・

なのにお腹がすいてるんです。

心のガス抜きも大事だけど、お腹のほうもガス抜きしないと。



ではでは。