『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

ちょっと視点を変えて

昨日、スマホで見た記事

『障害児生まれた 人生終わった』


この記事についてフェイスブックに投稿がありました。

まったく私とは違う視点でいろいろなコメントが書いてあり。

私はいろいろ考えました。

んー、私は保育士も一応、持っている。

看護師も持っている。

こんな私が、なにかそういうママたちの手助けなんて偉そうな言葉は使いたくないけど、できないのかなと。


ここ数年はお年寄りの介護や看護現場で働いていましたが、以前は子供の施設で働いていたこともあります。



障害を抱えたお子さんだけが入れる保育園。

そんなのが全国にあったらいいのかな、とか。

保育士、看護師が協働するところ。

提携してくれる医師がいて。


ただね。

働くにもかなりのリスクが伴うのよね。

最近、モンスターペアレントが多いし。

お年寄り相手の施設で働いていても、家族からのクレームが多いことは多々あって、そうとうのストレスにはなった。

それが子供の施設(保育園)となると、さらにすごいことになるんじゃないかと・・・

けど、そういうのを取り外して考えても、経営はかなりの厳しさになるだろうし、専門知識はもちろん、少しの異常にも敏感でなければならない。

保育士はあれど、小児科の経験も新生児の経験もない私には、やはり何もできないのかな・・・


どんな子供にも『未来』があって、『可能性』がある。

そういうものを引っ張り出しつつ、ケアができること・・・

もう自分の子供をもつということが、不可能になった私。

だからこそ、なにかしたい。

でも、なにからどうしたらいいのか、さっぱりわからない。


SPEEDのメンバーの一人が、そういうことに乗り出そうとしている。

きっと、それが大きななにかを生み出して、作っていってくれるんじゃないかと、期待しています。

そのころには私はおばあちゃんかもしれない。

でも、元気でいたら、きっと自分のできることをしてみたいと思う。



昨日は辛辣なことを書きましたが、そのママの戸惑いも不安も、いろいろわかるつもりです。

私は母親をそばで見てきたから、

「あ~、私の母親は強いなぁ」

と思っています。

実際、友人のお子さんが障害あったり。

その友人がどうしてもって時は、私が子供を預かったりしてたもんです。

だからね。

希望を捨ててほしくなくて・・・

子供と死んでしまおう・・・なんて、考えてもいいけど、絶対にしないでって思う。




東北の大震災から5年の今日。

今日、自分が生きているのは当たり前ではない。

明日がこないかもしれないから、今日を、今を、精いっぱい生きよう。

亡くなられた方たちのご冥福をお祈り申し上げます。

そして、生きている今に感謝をいたします。