『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

アルコール依存症とノイローゼ

寝室とリビングを行ったり来たりする夜。
眠れない。
眠れても2時間か30分。


昨日の朝は目覚めているのに、尿失禁する始末。
仕事に行こうとしたくをするが、頭は混乱している。
眠っていないから。
雪は積もってるし、もう、なにがなんだかわからない。


父親がきてくれて、いろいろ話した。
病院側はなんとか私を雇ってくれていようとフリー業務にしてくれた。
私は精いっぱいやってきた。
ほかに頼まれた仕事があればやってきた。


それでも、フリーは楽だよねとやっかむ人がいる。
フリーのほうが大変かもしれない。
50名。


特に経管栄養の人の口腔ケアや、経管栄養の準備。
白湯を流す、片づける。消毒にチューブをつける。


午前中はたいてい、リネン交換で終わる。
その時点でへとへと。
でも、次から次へと仕事はある。


帰宅して、動けない時も多々あった。


そして、私のフリー業務に対するやっかみが気になりだしたらもう止まらない。
気にしなかうと思っても気になって仕方ない。


だから、眠れない。
酒を飲む。
眠れない。
酒を飲む。


気付けば、私はアルコール依存症と重度の睡眠障害。そしてノイローゼ。


いくらプライド捨てて、今できることを精いっぱいやろうと思っても、やっぱり私にも心がある。感情がある。


再び壊れつつある私の心。


決めた。
退職する。
また休職しても、同じことの繰り返し。
それ以前に看護部長から「療養に専念しなさい」と言われるのかわかっている。
なら、こっちから辞めてやる。


先のことはなーんにも考えていない。
お金はなんもない。
親に土下座して援助してもらう。


ここだけの話。
妹が普通の子であれば、実家に親に甘えに行ける。
でもできない。
私が号泣したりすれば妹が過呼吸を起こす。
綿とだって母親に抱き付いて泣きわめきたい。
でも、うちにきたのは父親だった。


やっぱり妹のほうが大事なのか・・・
あたしは母親から半分、見捨てられてんのか・・・・
悲しくて、父親が帰った後泣きわめいた。


お母さん。
私はお母さんと話したかった。
お母さんに泣きすがりたかった。
なのに、なぜお父さんなの?


お父さんが嫌いなわけじゃない。
けど、求めているのはお母さんの暖かい愛情だったのに・・・



どんなに睡眠薬を飲んでもお酒を飲んでも、眠れないのは、アルコール依存とノイローゼ。



もうしばらく働きたくない。
もうお金なんて知らない。
心も体も休ませて。


そしたら、バイトでもなんでもするよ。



正直、死にたいとさえ思った。
もう、私はダメだ。
生きてる価値がない。
そう思った。
信じていたスタッフも、信じられなくなった。