『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

47歳になりました。

昨日、誕生日でした。
なんとか一年、生きられた。
重病人みたいな書き方だけど。
辛くて長い真冬のような一年でした。


去年の誕生日は旦那のお通夜だったし。
いろいろな争い事、裏切り、人間不信、鬱、引きこもり、酒浸りの日々。
たまにぶっ壊れて、暴れたり泣きわめいたり。
壊したり、捨てたり、もうおきちがいさんみたいでした。


そんな私をどうにか守ってくれた両親。そして大切な友人たち。
正直、死にたいと思ったこともある。
もう楽になりたいと思った。
そのたびに泣いた。
泣いて泣いて泣いて・・・・
いつも一人で泣いてた。


それでもなんとか、最悪の道を選ぶことなく、生きられた。
医者には入院をすすめられ、休職をすすめられ、さもなければ実家に帰れとすすめられ。
そのすべてを拒否して、意地を張って生きてきた。


本当によく頑張ったと思う。


この一年だけじゃない。
11歳のときからずっと、なにもかもが辛くて、居場所がなくて。
私は24歳くらいで死ぬんだろうって漠然と思っていた。
カウンセラーにも半分見放されるほど、私は子供のころの自分を抱きしめてあげることができなかった。
かわいそうだった自分を認められなかった。
やっと、かわいそうだった子供のころの自分をきちんと抱きしめてあげられることができた。
これはきっと自力で一年、生きたからだ。



大森靖子(せいこ)との出逢いも大きかった。
彼女の自伝のような本を読み、歌を聞き、たまたま彼女のガイドボーカルの仕事を受けた。
生きていれば、こんなとんでもないめぐりあわせにまで出逢える。
46歳の私が27歳の女の子のガイドボーカルって、彼女が知って、会ってみたいと言ってくれてる。
「できれば一緒に、思いをぶつけあって、おもしろいモンを作りたい」
そこまで言ってくれた。
変な感性が似ているのかもしれない。
ま、私は有名になることは自傷行為であることを知っている。
オモテ舞台には立ちたくない。
でも、歌は歌い続けていたい。
一瞬、ナースなんて辞めちまうか!と思ったけど・・・



話がそれたけど、とにかく生きてこれたよ。
私、頑張ったね。
自分で自分に最高のプレゼント。
『自信』