Yahoo!より
健康に暮らすこころと向き合う
覚悟の自殺はあるのか
2016年3月23日 松本俊彦 / 国立精神・神経医療研究センター部長
自殺予防の講演会で、時々こんな質問を受ける。「全ての自殺を予防する必要があるのか。考えた末の覚悟の自殺もあるのではないか」
私は10年前から「心理学的剖検(ぼうけん)」に関わってきた。遺族を情報源として、自殺既遂者が死に至ったプロセスを詳細に振り返る調査だ。遺族の心理的負担は決して軽くない調査だが、同時に我々にも、ある種のタフさが求められる。
なにしろ、調査面接の際に遺族が提供してくれる情報はしばしばとても生々しい。遺書や生前の写真、自殺直前まで交わしていた家族や恋人とのメールやSNSのやり取り、ネットの閲覧履歴……。そうしたものを見ながら遺族の話に集中していると、自殺直前に故人が眺めていた風景を追体験する錯覚に陥る。
それだけではない。追体験の中で心の封印が緩み、自殺を防げなかったかつての担当患者の記憶までよみがえる。それは治りかけのかさぶたがはがされ、再出血する感覚と痛みを伴う体験だ。そのたびに私は「なぜ自殺予防が必要なのか」を、いやおうなしに確認させられる。
では、心理学的剖検から見て、覚悟の自殺はあるのか? 一つ言えるのは、自殺者の行動は矛盾に満ちているということだ。例えば、自殺当日の朝、遺書をしたためながら残り少なくなった洗剤やシャンプーを補充し、かかりつけ医で糖尿病や高血圧の治療薬をもらっている。今日死ぬ者には不要なものばかりだ。
こうした矛盾が示唆するのは「覚悟」ではなく「迷い」だ。
興味深い話がある。自殺の名所で知られる米サンフランシスコの金門橋で飛び降り自殺をしかけているところを発見され、警察官に強制的に追い返された人たちのその後を調べたところ、数年後の生存率は9割超だったという。その時の支援が「パトカーに乗せて自宅に送り届けた」だけであったことを考えると、生存率の高さに驚く。おそらく、ちょっとした手助けが心のてんびんの傾きを変え、命運を分けるのだろう。
覚悟の自殺はあるのか?
「ない」と断言するつもりはない。だが、ささいな手助けでも試す価値はある。
(毎日新聞2016年3月10日掲載)
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松本俊彦
松本俊彦
国立精神・神経医療研究センター部長
まつもと・としひこ 国立精神・神経医療研究センター病院精神科医師、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長、精神保健指定医、精神保健判定医、精神神経学会精神科専門医・指導医。
・・・であるならば、私の旦那は覚悟の自殺をしたということなのか。
懐中電灯、トラロープ、缶チューハイ1本のレシートだけ残していた。
あの大食いの腹減り男が何も食べるものを買って食べた気配がない。
事実、お腹はぺったんこだった。
用意周到な手口で、彼は・・・
そして、今日もまた悲しいニュースがあった。
中学生2人が二人で電車に飛び込んで自殺した。
なぜ、防げないのか。
なぜ、死を選ぶのか。
死の先には『天国』が待っているというの???
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