『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

いいのかな・・・と思う瞬間

私は、今、一人の暮らしを楽しめるようになりつつある。

一人で食べる夕飯も、コンビニのものばかりでなく、少しずつ料理をすることをし始めた。

最初は作っても、食べられなかった。

隣にいるはずの旦那がいないから。

「いただきます」

と旦那のまねをしてみても、箸が作ったばかりの料理に届かない。

何度も何度もこうした日々を重ねて、今は気付いたらごはんを一合も食べてしまう時さえある。

そして、罪悪感で涙がでる。



私は、新しい仕事を探しながらいろいろと部屋を片付けたり、模様替えしたり、友人と話したり、散歩と買い物しに近所を歩いてみている。



5年前の震災で亡くなられた方や、ほかにも自死や病死で亡くなられた方のブログを読んだり・・・

人それぞれになんとか歩いているんだな・・・と思う。


私も旦那がいなくなってから、本当に一人でここで生活していけるのかなと不安でならなかった。

経済的なことも、精神的なことも含めて。

両親は後追い自殺を本当に心配した。

長くつきあいのある友人も死ぬほど心配してくれている。

でも、不思議と自死は本当に微塵も考えなかった。

鬱が辛くて辛くてたまらない時は、死んでしまいたいくらい辛かったけど、死にたいとは思わなかった。

なんでか。

私は30代に過労などから(適応障害もあったのかもしれない)、鬱状態になり、パニック発作にも一日に何度も見舞われていた。

入退院の繰り返し。

看護師になれたばかりだというのに、夢ははかなく散った。

もしかしたら、人生で一番楽しくて充実していたはずの30代に、私は心を病んで病んでいて、楽しむどころではなかった。

自殺を試みても、死ねなかったこともある。

医師は「九分九厘、諦めてください」

と両親に告げたような自殺未遂さえある。


ほぼ4年前に旦那と知り合い、ここで暮らすことになる直前に一気断薬に踏み切った私。

数か月、離脱症状と闘いながら仕事も続けた。

くじけそうになると、旦那が背中をさすり、手を握り、「頑張ろう、頑張ろう」って・・・

あの日々があったから、私は薬の山から抜け出せた。


しかし、本当の闘いはこれからだった。

多量の薬が切れた私に鈍麻していた感情がワァーーっと押し寄せるようになった。

そんな日々もなんとか乗り越えてこれたのは、旦那がいつもそばにいたからだった。

だから。

怖かった。一人になって。

いつか、ふっと魔が刺すんじゃないかと。


でも、そんな恐怖や不安をなんとか乗り越えたのかな・・・

旦那のSOSに気づけなかっただろう自分を責めてきた。

あの時、こうしていれば、ああしていれば・・・

それでも時はもう戻らない。


前を向くしかない。

上を向くしかない。

それでも帰宅して、何も食べられない日々が続いた。

お酒とチーズだけの日々。

お酒と睡眠薬・・・

ダメだとわかっていても、辛くて眠れなくて、飲んだ。

お酒を飲んでも、睡眠薬を飲んでも、施設からオンコールの電話がくるんではないかと、脳は常に緊張状態だったと思う。

それは退職してから、ようやくわかった。


そんな日々から脱出できたのは、やはり周りの人たちのおかげだと思う。

月に一度は会ってきた2年越しの友人に言われた。

「お前、目つきがヤバイぞ。マジで会社辞めて休んだほうがいい」

それでも、辞めることができなかった。

ナースがいない・・・



まぁ、世の中、よくできたもんで元気になってきたころに新しいナースが入ってきて、私は簡単にクビ同然で退職となったわけだけど。

とにかく、辞めてからの毎日は、いろいろと考えている。

私なんかが生きていていいのかな・・・とか。

楽しいことも、いやなことも、いろいろと。

ただ、人は縁だなぁと思うことは多々ある。

縁のある人とは環境が変わっても、繋がりをもってつきあっていける。

モルとの出会いも偶然だった。

でも、どんな偶然もきっと、必然なんだろうな・・・

なぁんて、考えながら明日をまた、待ちわびていきます。