いいのかな・・・と思う瞬間
私は、今、一人の暮らしを楽しめるようになりつつある。
一人で食べる夕飯も、コンビニのものばかりでなく、少しずつ料理をすることをし始めた。
最初は作っても、食べられなかった。
隣にいるはずの旦那がいないから。
「いただきます」
と旦那のまねをしてみても、箸が作ったばかりの料理に届かない。
何度も何度もこうした日々を重ねて、今は気付いたらごはんを一合も食べてしまう時さえある。
そして、罪悪感で涙がでる。
私は、新しい仕事を探しながらいろいろと部屋を片付けたり、模様替えしたり、友人と話したり、散歩と買い物しに近所を歩いてみている。
5年前の震災で亡くなられた方や、ほかにも自死や病死で亡くなられた方のブログを読んだり・・・
人それぞれになんとか歩いているんだな・・・と思う。
私も旦那がいなくなってから、本当に一人でここで生活していけるのかなと不安でならなかった。
経済的なことも、精神的なことも含めて。
両親は後追い自殺を本当に心配した。
長くつきあいのある友人も死ぬほど心配してくれている。
でも、不思議と自死は本当に微塵も考えなかった。
鬱が辛くて辛くてたまらない時は、死んでしまいたいくらい辛かったけど、死にたいとは思わなかった。
なんでか。
私は30代に過労などから(適応障害もあったのかもしれない)、鬱状態になり、パニック発作にも一日に何度も見舞われていた。
入退院の繰り返し。
看護師になれたばかりだというのに、夢ははかなく散った。
もしかしたら、人生で一番楽しくて充実していたはずの30代に、私は心を病んで病んでいて、楽しむどころではなかった。
自殺を試みても、死ねなかったこともある。
医師は「九分九厘、諦めてください」
と両親に告げたような自殺未遂さえある。
ほぼ4年前に旦那と知り合い、ここで暮らすことになる直前に一気断薬に踏み切った私。
数か月、離脱症状と闘いながら仕事も続けた。
くじけそうになると、旦那が背中をさすり、手を握り、「頑張ろう、頑張ろう」って・・・
あの日々があったから、私は薬の山から抜け出せた。
しかし、本当の闘いはこれからだった。
多量の薬が切れた私に鈍麻していた感情がワァーーっと押し寄せるようになった。
そんな日々もなんとか乗り越えてこれたのは、旦那がいつもそばにいたからだった。
だから。
怖かった。一人になって。
いつか、ふっと魔が刺すんじゃないかと。
でも、そんな恐怖や不安をなんとか乗り越えたのかな・・・
旦那のSOSに気づけなかっただろう自分を責めてきた。
あの時、こうしていれば、ああしていれば・・・
それでも時はもう戻らない。
前を向くしかない。
上を向くしかない。
それでも帰宅して、何も食べられない日々が続いた。
お酒とチーズだけの日々。
お酒と睡眠薬・・・
ダメだとわかっていても、辛くて眠れなくて、飲んだ。
お酒を飲んでも、睡眠薬を飲んでも、施設からオンコールの電話がくるんではないかと、脳は常に緊張状態だったと思う。
それは退職してから、ようやくわかった。
そんな日々から脱出できたのは、やはり周りの人たちのおかげだと思う。
月に一度は会ってきた2年越しの友人に言われた。
「お前、目つきがヤバイぞ。マジで会社辞めて休んだほうがいい」
それでも、辞めることができなかった。
ナースがいない・・・
まぁ、世の中、よくできたもんで元気になってきたころに新しいナースが入ってきて、私は簡単にクビ同然で退職となったわけだけど。
とにかく、辞めてからの毎日は、いろいろと考えている。
私なんかが生きていていいのかな・・・とか。
楽しいことも、いやなことも、いろいろと。
ただ、人は縁だなぁと思うことは多々ある。
縁のある人とは環境が変わっても、繋がりをもってつきあっていける。
モルとの出会いも偶然だった。
でも、どんな偶然もきっと、必然なんだろうな・・・
なぁんて、考えながら明日をまた、待ちわびていきます。
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