『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

なぜ・・・

旦那の自死後、私は「生きる」と決めた。

夢があるわけでもない。

目標という目標もない。

どこか旅行に行きたいところがないわけではないけど、まぁ、別にどうしても行きたいといところがあるわけでもない。

ほしくてほしくて仕方がないものがあるわけでもない。

それなのに、どうして私は後追いとか考えなかったのか。


単に、生きたかったから。


まあ、今は鬱だったり、喘息が出たりで、本来なら会社もクビになっておかしくない勤務状況ではあります。

が、以前の私。

そう、29歳ころからかれこれ4年前までの私は完璧な精神病患者でした。


25歳で親の反対をぶっち切り、自分の貯金だけで看護学校を卒業し、めでたくナースになったわけです。

しかし、先輩後輩の厳しい関係や、死にゆく患者さんの多さと壮絶さ(末期がん病棟に配属されたので)、で精神が崩壊しました。


約4年前に旦那と出逢い、付き合い、付き合いもそこそこで同居(同棲っていうと若い子のするイメージなんで同居とさせてください)。

その時に大量に飲んでいた薬を医者に黙って一気断薬。

苦しい離脱症状に何度もくじけそうになった時も旦那がそばで励まし続けてくれた。

だから、薬をやめられた。


薬をやめた私は鈍麻しいた感情が戻り、それはそれでつらかった。

喜怒哀楽のない世界から、喜怒哀楽に翻弄される日々が待ち受けていた。

その感情の波にのまれながらも、ここまでこれた・・・

そういう自負があった。


だけど、最愛で最大の味方だった旦那は自死してしまう。

自分を責め、悲しみ、悩み、苦しみ・・・・・・・

また鬱の薬を飲む生活に戻ってしまった。


それでも、私はある意味、精神病の死の淵から自分は生還したヤツだと信じていたので、どんな自分になってしまおうと、自死だけはしないと決めたんだった。

後追いの不安を消したくて、両親は実家に戻ってこいと再三、説得した。

けど、私は実家に戻っても自分の部屋もない。

通勤は遠くなる。

モルもいるし、とにかく甘えたくなかった。

親がいれば、衣食住の心配がない。

たとえ、仕事を休んで収入がなくなっても。

それがイヤだった。

というか、怖かった。

ヒッキーニートになりそうで。

だって、私、面倒なことはキライ。

結構、他力本願な人だから(笑)


朝起きてちょっと気分がすぐれなければ

「鬱だから会社、休む・・・」

きっと毎日がこうなっていた。



私は今の会社というか職場が大好きです。

大切な仲間もいて、楽しく、もちろんナースだから命に直結で、緊張感に肩がパンパンになることもある。

でも。

やっとやっと、人間らしい感情を取り戻して、仕事が楽しい。

働ける喜びを知った私は、『自死』なんてできるわけがないくらい、

ナースの仕事をして、生きていきたかった。

46歳にして、『自立』と『自律』を人生の目標にしたというか・・・



ツライことはたくさんある。

でも、そんな私だからかもしれないし、みんなそうかもしれないけど、

小さなことに幸せを覚え、「ありがとう」をたくさん言える、そんな人間になって、最期の最期まで、私らしく生きていきたい。

生きていればきっときっといいことがある。

どんな小さなことにも喜びと幸せを感じられる、そういう人になりたい。

なりたくてなったナースの仕事をなかなか続けられなかった過去があるからこそ、今の気持ちがある。



なーんて、今日はなんとなくそんなことを書いてみたくて書いてみました。


今日はせっかくのお休みですが、お天気があまり・・・

ちょっとだけ残念です。