『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

弱音です。。

病院勤務は憧れでは務まらなかった。
休職2回したし・・・
結局8か月でリタイア。


というか、勤務最終日になってしまった2月21日に、病棟の廊下ですれ違い様に同僚に言われた言葉にブチ切れてしまった。
場所が場所なだけに、その場では我慢した言葉がステーションに戻ってから炸裂してしまった。


同僚「体調悪いのはわかるんですけど・・・電話1本で休まれて、私も子供が体調悪くてもなんとかして、出てきてるんです。先週なんてすごく忙しくて・・・云々」


私「・・・わかりました」




ステーションで、私。
「家族を亡くして平然と仕事なんかできるわけないし!。鬱になったことないあんたに何がわかるのよ!わかんないなら、わからしてやるよ!おとなしくしてりゃ、いい気になりやがって!あんたいつからそんなに偉くなったのさ!?」


副主任が止めに入るも、もう私の言葉は止まらない。


それなのに同僚は
「午前中が体調良くないなら、転職とか考えたらどうなんですか!?」


私「は?あんた看護部長よりも、師長よりも偉くなったわけ???」




とりあえずは、副主任になんとか止められて、騒動は終わったかに見えた。




翌日、私は休み。
夕方になって、師長から電話がきた。


「部長が、仕事をする前に面談をしたいと・・・なので27日まで休んでください」


要するに謹慎だろ?



も、面談なんてしてもどうせろくな結果になりはしない。


24日。
退職届を師長のタイムカードに突っ込んで、ロッカーの荷物を全部引き上げて帰宅。



悔しくて、怒りに満ちていた。






続く・・・