『生きる』~最悪でも幸せでいようね~

旦那さんはひとりで逝ってしまった。。。♪~あの雲を越えて空へと続く 果てなき道のりを 君はひとりきり歩いてくこと あの日決めたんだね

平成27年10月3日。3年半一緒に暮らした内縁の夫は自死という選択をし、あの空の彼方へと旅立ちました。
私は一人で生きていかなくてはならなくなり、頑張ってきたけれど・・・鬱の再発、退職を余儀なくされ、それでもなんとか『生きて』いくことを選び、前向きに、時に後ろ向きに生きています。
そんな私のつぶやきに似た、日記というかなんというか・・・です。

両親には言えない。

まだ二度目の休職に入って一週間目だ。
なのに・・・
もう復職のことを考えている。
両親は「眠れるようになったのなら、早く大野先生(担当医)に診断書書いてもらって、早めに復帰しなさいよ。イヤになるよ、仕事に行くのが」
そう急かす。
経済的な不安もある。
自分の職場に居場所がなくなる可能性もある。
でも・・・
戻りたいのか、戻りたくないのかも今はまだわからない。
戻る自信がないのだ。
けれど、できることは・・・
とりあえず戻るとは思ってはいる。
でも・・・
きっちり診断書通り、一か月は休んで決めたい。
それが言えない。


いろいろネットで見ていて、『働く人の「心の耳相談メール』に行きついて、メール相談をすることにした。



辞めたいのかもしれないし、辞めたくないのかもしれない。
もう、自分の気持ちすらわからない。
ナースそのものも辞めたいのかもしれないし、辞めたくないのかもしれない。
心の整理はなかなかつかない。



ぶっちゃけ・・・
本当にもう高齢者の介護や看護はいい。
たぶんとは思っていたが、やはり認知症病棟に配属になった時に思った。
まぁ、でも、自分が鬱患者でもあるうちは、とうてい鬱患者の看護はできない。
潰れるのが目に見えている。



かといって、総合病院とかに勤務できる知識もスキルもない。
施設はイヤ・・・
もう選びようがない。



生活が成り立つならば、ペットに触れるような仕事に就きたい。
心から今は思う。
でも、一人ではここで生活していけない。
実家にも帰れない。
帰りたくない。
わがままだとわかっている。


救いは親友のノリコの言葉。
「美奈は粘り強いよね。すごいよ」
確かにすごいと思う。
一人になって一年以上、ニートになっても休職二度目でも、親から一銭も援助は受けていない。
障害年金さまさまだ。。。


焦ってもしかたない。
親にはわかってもらうしかない。
なんとか食いつなぐために、趣味と実益を兼ねた、ガイドボーカルのバイトが増えるよう、祈るしかない・・・
とはいえ、都内まで出て行き、夜中か始発電車で帰ってくるような勤務はなかなかキツイ。
事務所の方のはからいで、タクシー代や新幹線代もいただいているので、不満は言えない。
しかも、仕事そのものも私の休みの前日に合わせてスタジオをとってもらっている。
どうにも帰れない日にはスタジオで仮眠していたが、さすがにかわいそうだということで、安いビジネスホテルをとってくれたりもしてくれるようになった。
それは、私が何年もかけて築きあげてきたものがあるからではあるが・・・
ほかのスタジオミュージシャンよりは、はるかに良い待遇を受けている。
バイトなのに・・・
スケジュール管理のためもあるからか、マネージャーさんのような人もついて、まるで芸能人さながら。
たまに、弱気になる私の弱音メールやら、なにやらわがままも受け付けてくれている。
もう、このまま音楽業界一本にしたほうが・・・と思うことすらある。
でも、それができない自分。
単に年齢を気にしているだけではない。
芸能界の裏も知っている。
酸いも甘いも知っているからだ。
怖いんだ・・・



今のまま。
今のままの自分がいい。
有名になりたくない。
だけど、ライブがしたい・・・
もう、本当に世話の焼ける私。




ねぇ、おとうちゃん。
私はどうしたらいい?